こもれびより ~commoré-biyori~ vol.18「語学塾という場所」レポート
こんにちは。そしてあけましておめでとうございます。こもれびスタッフの根本です。
12月末で語学塾こもれびを閉めてから、気づけば松の内が過ぎてしまいましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さて、2021年12月5日(日)に、こもれび最後のイベントであるこもれびよりVo.18「語学塾という場所」を開催いたしました。黒田龍之助先生に司会進行役をお願いした本イベント、当日は多くの方にお集まりいただき、本当にありがとうございました。また、会場の都合で狭い思いをさせてしまった方にはたいへん失礼いたしました。
今回は最後のイベントということで、こもれびのこれまでを振り返る内容となりました。すなわち、「どうやってこもれびはでき、何をやってきたのか」ということです。この記事では、当日の様子をかいつまんでご報告します。
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会の前半はまず、「こもれびができたいきさつ」の話から。東京外国語大学に同期として編入学した二人が…というわけなのですが、このあたりは2018年10月に行った講演でも詳しくお話ししたことなので、よろしければそちらの講演録などをご参照ください。
https://commorebi.wixsite.com/gogakujukucommorebi/yumenomachikata
要約すれば、家庭教師などをしている中で似たような質問をされることが多いことに気づいた発起人(代表)が、「武蔵小金井のシェアスペースを借りて塾のようなことを始めようと思っている」と何気なく友人に話したところ、思いのほかその友人が乗り気で、あれよあれよという間に二人で始めることになった、というのが事の起こり。持ちかけられた友人の方は、教えることが好きなものの、大手の受験対策予備校でアルバイトをする中で何かと疑問に思うことがあったため、発起人の話に興味を持った、ということだったようです。
その後、「やはり自分たちだけの場所を」といったこともあり、場所を探しに探して見つけたのが国分寺の校舎でした。そこに移ったのが2018年の3月のことなので、国分寺では3年と9ヶ月ほどを過ごした計算になります。
武蔵小金井時代は社会や理科なども科目として扱っていましたが、国分寺への移転を機に「語学塾」としてリニューアルし、英語、フランス語、国語、数学(数学も語学という扱いです)を教える、「受験対策をしない塾」になりました。
では、そんな「受験対策をしない塾」では、どんな教え方をしていたのでしょうか。
この点は、二人の話を聞いた黒田先生がおっしゃった言葉をお借りしたいと思います。それは、「考える/疑う」ということと、「遅い/深い」ということです。
塾である以上、便宜上「教える」という言い方はするものの、講師と生徒という立場に固執することなく一緒に考え、物事の表面にとどまらず本質的な深い部分に少しでも近づけるようにする。そしてそれには当然時間がかかる——こもれびで講師をした二人は、特に示し合わせたわけではなくそのような価値観を共有していたようです。具体的な授業スタイルはそれぞれで異なるかもしれませんが、根底には共通したものがあったからこそ、こもれびならではの特色が生まれたのでしょう。
後半は、参加者の皆さんからのご質問にお答えする時間。例えば、先ほどの「考える/疑う」、「遅い/深い」ということは普段から意識しているのか(教える前から意識していたのか、もしくは教える中で育っていったのか)、という質問には、「元々持っていたものが教える中で育っていった」、「(教える前か中かは定かではないが)普段から意識している」とやや答えは異なったものの、それぞれの血肉となっていることは伝わってきました。
また、黒田先生が質問されたのはずばり、「こもれびの作り方」。今後、こもれびのような活動をしたい方のために何かアドバイスを、ということだったのですが、端的に言えば「お金とやる気さえあればできる」ということ。飲食店とは違って、特段の資格が必要というわけではなかったとのことです。また、先ほど紹介したようにまずはシェアスペースで始めたわけですが、「小さく始める」というのも有効だということでした。
印象的だったのは、こもれびを閉めるに当たって「残念」という気持ちはあるものの、「悲しい」「寂しい」という気持ちはないという点。これは二人とも共通した答えでした。寂しさを感じる場面があるとすれば、通ってくださっていた生徒さんの気持ちに思いを馳せる時だといいます。生徒さんからすれば「羽を伸ばしてゆっくりできる場所がなくなってしまう」ということは寂しい、というわけです。運営者として寂しさを感じないということは、「自分たちがやりたかったことはやりきった」ということの現れなようにも思います。
こうして、予定していた時間はあっという間に過ぎ去り、会はお開きとなりました。
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今回のイベントの裏テーマは、黒田先生からもご質問のあった「語学塾こもれびの作り方」でした。その点に関連して、スタッフとして数年間こもれびに携わっていた私からも僭越ながら一言。
語学塾こもれびは結果として「考える/疑う」、「遅い/深い」ということがモットーとなったわけですが、そのやり方は残念ながら一朝一夕でできるわけではありません。講師の二人を間近で見ていると、そうした姿勢はこれまでの積み重ねによって身についたもので、二人の生き方そのものと言っても過言ではないものだと思います。本を読んだり人の話を聞いたりするだけでは身につかず、ひたすら実践あるのみです。
また私は、はじめはお客として訪れたこもれびをいつの間にか手伝うようになったわけですが、手伝いたいと思った最大の理由は講師二人の人柄でした。タイプが異なる二人ですが、それぞれがそれぞれの魅力を持っており、「あぁ、彼らと一緒にいられたら幸せだな」と思ったのです。そして実際、共にこもれびで過ごした数年間はとても満ち足りたものでした。
こもれびをこもれびたらしめていたのは、二人の語学力や授業スタイルだけではなく、だいぶクサい言い方ですが「人間性」だったわけです。その意味では、ノウハウだけではなく、人間的な魅力を向上させることも(特に小規模の塾では)大切なように思います。
また、「考える/疑う」ということを突き詰めていけば、こもれびのやり方が絶対的な正解ではないということになります。こもれびに魅力を感じて、同じようなことをやってみたいと思ってくださる方にはまず、こもれびのやり方を疑ってみることから始めていただきたいと思います。そうすればこもれび以上のものができるでしょう。そして、違う人間が運営する以上、また違った味のある塾ができるはずです。
ついあとがきが長くなってしまいました。最後に改めて、司会進行役を引き受けてくださった黒田先生、足を運んでくださった皆さま、そしてこれまでご支援いただいた皆さまに厚く御礼申し上げます。皆さまの支えあってこその語学塾こもれびでした。
どうもありがとうございました。
