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うららかな春の #自宅フヅクエ と読書日記

  • こもれびスタッフ
  • 2020年4月7日
  • 読了時間: 8分

寒い寒い冬も終わり、ようやくやってきた春。花粉は辛いけれど、やっとあちこちに出かけられる…と思っていたら、そうも言っていられなくなってしまった。


それならば、いつも行っている読書というものに、ことさら没頭するしかない。そう思っていた矢先、初台の…いや、初台と下北沢の「本の読める店」fuzkueさんがTwitterで「 #自宅フヅクエ 」というムーブメントをスタートさせた。4月に下北沢にもお店をオープンされた最中のこの騒動で、4月8日現在はどちらのお店も休業されているfuzkueさん。「俺たちの読書の時間は奪えやしない」という志のもと、「みなさんの読書の時間を教えてください」ということで、Twitterの投稿で、書影つきで一言つぶやいてもらう、という趣のものだ。



おお、これぞ私の気持ちにうってつけ、と大いに賛同し、時間ができたときには私も投稿している。


ところで、この状況において、「いまのきもち」や「いまのくらし」を書き留めておくことは、きっと自分にとって必要なことだろう、という思いから、4月1日から日記をつけ始めた。ここまでの話でなんとなく予想できた方もいらっしゃるかもしれないが、その日記は、fuzkue店主・阿久津隆さんによる『読書の日記』に大いに影響を受けたものになっている。




ためしに、ここにいくつか開陳してみたい。もちろん、公開用に少し手を加えている。



2020年4月2日(木)  久しぶりの出勤。東京駅構内の工事もしばらく見ぬ間に進んでいる。駅にいる人は確実に少ないが。  日中はせっせと仕事をし、19時に退勤。その足で丸善の丸の内本店に向かう。『目加田誠 「北平日記」』の現物を見たいと思って行ったのだが、まずは3階の文庫コーナーへ。岩波文庫の『荷風追想』というアンソロジーを見つけ、思わず手に取る。東洋文庫コーナーではいっとき真剣に『荻生徂徠全詩1』もしくは『周作人読書雑記1』を買おうかと思ったが、我慢することができた。語学書コーナーでは、四週間シリーズで『ゲール語』が、ニューエクスプレス+シリーズで『アイルランド語』があることを知り、ゲール語とアイルランド語の違いを少しWikipediaなどで調べる。いまいち理解が及ばない部分もあるが、「スコットランド・ゲール語」と「アイルランド・ゲール語」があり、単に「アイルランド語」という場合は後者を指す?ちなみに、古典ギリシャ語の入門書も見てみたが、岩波から出ている『ギリシア語入門』も『古典ギリシア語初歩』も教場での授業用で、練習問題の解答が付いていない。今どきインターネットで解答は探せるだろうが、ちょっと保留に。  2階に降りて、文学コーナー。海外文学は特に目新しいものは出ていない。肝心の目加田誠は、システム上は「在庫△」でわずかにあるようだが指定の場所に見つからず。ストック、つまり下の引き出しにあるのかもしれないが、これもまた運命と諦める。「小林秀雄全作品集」に惹かれるが、これまた我慢。火野葦平の『麦と兵隊』を見ようかと思い在庫を調べると、「戦記」コーナーにあるとのこと。まぁたしかに戦記ではあるが…。『戦艦大和の最後』みたいな本などと一緒にあった。パラパラ見て、シリーズものであることによりコンプリートしないといけない気になると予想されることから、ひとまず買わず。P+D BOOKSの福永武彦を見るもいまいちピンとこず、堀田善衛の『記念碑』と中村真一郎の『四季』を買う。  帰りの電車では、『居酒屋』と『アンナ・カレーニナ』。『居酒屋』の方が級数が小さいが、それにしても『アンナ・カレーニナ』が比較的スイスイ進むのに比べると進まない。ジェルヴェーズとクーポーは結婚しそう。カレーニン夫人(アンナ)が肥っているとは知らなかった。  (中略)  23時ごろ帰宅。ポストに、注文した『ダブリンの4人』が届いていた。著者を見ると、エルマン。『イェイツをめぐる作家たち』と同じ人だった。  テレビを点けて、珍しく、録画してあった「美の壺」を1本見る。「和の辛み」とのことで、わさび・さんしょう・からし。からし蓮根を食べたくなる。  『荷風追想』の谷崎が面白かったので、続く正宗白鳥、久保田万太郎、堀口大學を読む。久保田万太郎による、以下の文が良い。   先生の大ていの読者は、そのうちのある一つの時代、もしくは、わずかにその前後をさしわたした時代だけをとおしてのみ、先生を見、先生を感じ、先生を語っているといったが、じっさい、先生ほど、変化し、転移し、そしてつねに躍進をつづけた作家は、日本は勿論、けだし外国にもそのためしをみないであろう。(p.37)   おのれを大事にかけることによって、いたわることによって、いつくしむことによって、先生は、ついの栖(すみか)を〝孤独〟のなかにもとめられた。そして、その〝孤独〟のなかに亡くなられた。世俗的には、こんな不幸なことはない。が、先生は、御自分のこの孤独のなかの死を、しずかに、微笑をもって御覧になったのではあるまいか?(p.38)   こうしたものを、どうしてぼくは書いたか?   きッと、世間は、先生を〝浅草におけるある時代の先生〟だけにしぼるにちがいないと思ったからである。そして、先生の、自由を愛し、孤独をもとめるすがたに対し、簡単に〝奇人〟の名を負わせるにちがいないと思ったからである。   世間は、一たい、どれだけ先生を知っているというのだろうか?(p.39)

 『江藤淳は甦える』第十一章を読んで寝る。



2020年4月4日(土)  12時頃起床するも、なんだか眠くてたまらない。起床する前に、相当唸り声を出していた実感がある。テレビを観たり、『荷風追想』を少し読んだりする。『荷風追想』に収められた山崎俊夫の文章に、「和朗フラット」というアパートが出てくる。注釈に「六本木のスペイン式住宅」とあるので興味を持って調べてみると、なんと今でも存在し、そしてなんと借りられるらしい。家賃20万円以上なので、とうてい無理だが…。 (中略)  『ドーダの人、小林秀雄』はまたも結構面白い。アーサー・シモンズの『象徴主義の文学運動』(小林が読んだのは岩野泡鳴訳『表象派の文学運動』)について記述されている。   だが、いろいろと調べてみると、シモンズのこの本は、イエーツやT・S・エリオットそれにジェイムズ・ジョイスに非常に大きな影響を与え、英米人の目をフランス象徴派に向かって開かせた非常に影響力の大きな本であることがわかってくる。換言すると、シモンズの本が与えた影響は、英米も日本もそれほどに時差のないグローバルなものであったのだ。(p.126)  ここでイェイツやT・S・エリオット、ジョイスが登場。そうとなれば読まないわけにはいかない。上記の引用の後に「近年翻訳されたわかりやすい訳文」として平凡社ライブラリー版の新訳が示されているのでそれをAmazonで調べてみたら、品切らしく値段が高騰している。それではいっそのこと原書を、と思ったが、Kindle版のレビューで、日本語でも英語でも「原書をOCRスキャンしただけで中身は間違いだらけ」と書かれていて、怯む。試しにサンプル版をダウンロードして開いてみると、たしかに段落などがめちゃくちゃなうえに、(OCRの読み取りミスによるものと思われる)謎の単語が見られ、こりゃダメだ、と見限る。それでもめげずにレビューを読んでいると、「Project Gutenbergを使うのがおすすめ」と書いてあるものを見つける。  Project Gutenberg、以前チラッと覗いたことがあったが、使い方がいまいちよくわからず、真剣に見たことがなかった。意を決して”The Symbolist Movement In Literture”を検索してみると、あっけなく見つかる。しかも、Kindle形式のmobiファイルというものがあるので、Kindleで読めるようだ。自分でダウンロードしたファイルをKindleで開くには、割り当てられたメールアドレス宛にファイルを添付して送ればよい、ということがわかったので試してみるが、ライブラリに表示されず…。しばし、放置してみることにする。  この時点で遅い時間だったので『江藤淳』を読むかどうか迷ったが、「隠蔽される主任教授「西脇順三郎」の名前」というタイトルに惹かれて、第十三章を読む。  大学一年生の時の「創作ノート」中、「ジョイスの恋愛詩」として、ジョイスが小説を書く前に書いた詩集『室内楽』を試訳していたとのこと。だが、それは第五篇までで終わっている。その理由は、自分が初めて訳したと思っていた『室内楽』が、昭和8年に西脇順三郎が『ヂオイス詩集』として訳し、刊行していたことだとされる。ちなみに、両者の訳は孫引きになるが、このようだ。  (江藤訳・p.200〜201)   大地と大気の中に秘められた絃が   優しい音楽をかなでる   柳の葉をかわす河の畔に   たてごとの絃が秘められている   河のほとりに楽の音がきこえる   かしこ外套に蒼ざめた花をかざり   髪に濃緑の木の葉をつけて   「愛」のさすらうあたりに   すべてのものは音楽にうなだれ   しづかにかなでうたう   そして両の手の指は   たてごとの上をさまよう  (西脇訳・p.201〜202)   絃は地にも空にも    美はしい音楽をかなでる、   河べりに絃はまた    柳がすれ合ふところにも。   音楽が河に沿うて聞えるのは    愛の神がそこをさまようから、   彼の外衣(マント)の上には淡い花をつけ    彼の頭髪には暗い葉をつけて。   真にひそかに、かなでる    頭は調(しら)べに項垂れて、   指はさまようて    楽器の上を。  どちらが翻訳として優れているかは、僕にはにわかに判断することができない。そもそも、原文すら目にしていないわけだから。ただ、第一印象でどちらが好みかと聞かれれば、江藤訳を挙げると思う。声に出したとき、素直な感じがする。  ともあれ、この章には西脇順三郎による『ヨーロッパ文学』という著作についても書かれており、興味をひかれる。   昭和八年に第一書房から出た『ヨーロッパ文学』は、菊判八百頁近くもある大著である。長短四十余りのエッセイで構成され、やや雑然とした本だが、その指し示す世界は広大である。宣伝コピーには「我が国の新文学に決定的な方向を与へる驚異的指導書!! 文学の思考に画期的変革を齎す時代のパイロット!!」とある。批評文として読むと大まかな感じは否めないが、西脇が蔵する文学の知識とその鑑賞能力には圧倒される。(p.198)  これはぜひ読んでみたいと思い調べてみると、慶應義塾大学出版会が「西脇順三郎コレクション」として刊行していることが判明。先ほどのジョイスの翻訳を収めた巻もあり、欲しくなる。  そんなこんなで、5時頃に就寝。




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