2019年9月 ことばの本屋Commorébi 今月の1冊 『北京のスターバックスで怒られた話』
- こもれびスタッフ
- 2019年9月6日
- 読了時間: 3分
書誌情報
タイトル:『北京のスターバックスで怒られた話』
著者:相原茂
出版年月:2004年6月
出版社:現代書館
「ことばの本屋Commorébi」の「今月の1冊」として、先月は言語学者・黒田龍之助先生の『はじめての言語学』(2004年1月)を取り上げた。今月は、黒田先生に引き続き、語学エッセイの名手である相原茂先生の『北京のスターバックスで怒られた話』をご紹介。
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とあるエッセイの中で黒田先生は、相原先生のエッセイこそが、自分の理想とするものだと書かれていた。
先生のエッセイの魅力は、その簡潔な文体もさることながら、中国の言語文化に対する公平な視点にある。
言語文化を扱う際、絶賛も酷評もせずに話を進めるのは、想像以上に難しい。そういう極端なものはいずれにせよ、読んでいて不愉快になることが多い。ところが相原先生の場合はそういうことがなく、だからこそおもしろいエピソードに心から笑える。
(『ロシア語の余白』(2010年、現代書館)、p.235)
相原先生は、中国語教育における第一人者。私がはじめて中国語を学習したのはNHKのラジオ講座だったのだが、そのときの担当が相原先生だった。先生の穏やかな語り口で、心が穏やかになったことを覚えている。
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相原先生のエッセイを読むと、「言葉は文化と結びついている」ということが改めてよく分かる。例えば、本書『北京のスターバクスで怒られた話』は、「客を見送る」というエッセイから始まる。
中国語の会話集を開くと、お客を見送るときの決まり文句として「慢走」が出てくる。読んで字のごとく、「ゆっくりお帰りください」という意味だ。だがこの表現、相原先生によれば「もうここから先は見送りませんよ」というニュアンスだそうだ。つまり、「ここでお別れ」という「突き放し」の言葉である。それゆえ、口にする頃合いが大切で、部屋を訪ねてきた相手が、用件が済んで部屋を出るタイミングで言うと、どうも早すぎるようだ。
この背景には、「お客さんを玄関先まで見送る」という中国文化の特徴がある、と相原先生は書く。たしかに中国の歴史ドラマを観ていると、家の門を出たところで「ここで結構」と言っているシーンがよく出てくるし、「見送る」ということで言うならば、登場人物が兵を率いて遠征するときには、皆がその人を都の城門の外まで見送ったりもしている。
日本の歴史ドラマを観ないので分からないのだが、少なくとも現代日本においては、せいぜいがエレベーターの前までだ(かく言う私も日中は勤め人なので、日々、エレベーターの前で、扉が閉まるまで頭を下げ続けている)。
エレベーターのところまで来たら、相手によっては乗り込んで一階まで一緒におりる。さらに校門までゆく。その先は最寄りの駅まで歩く。どこで歩を留めるかは、二人の関係による。
(『北京のスターバックスで怒られた話』(p.10))
要するに、中国語では、「慢走」を言うタイミングはよくよく考えないといけない。「言葉は文化と不可分」ということがよく分かる。
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黒田先生も書いているように、相原先生は中国語、そして中国文化に対して過度な称賛などはしない。あくまで淡々と、「中国ではこうである」と語る。もちろん、そこで語れるのはあくまで「相原先生が目にした中国」であって、中国のすべてではないのだろうが、その淡々とした筆致がこれまた心地よい。自分もこうした心地よい書きぶりをしたいものだな、と思わずにはいられないのだ。
ちなみに、本のタイトルにもなっている「北京のスターバックスで怒られた話」も、相原先生なりに解釈した中国文化に関する話。「なるほどなぁ」と思わせられるエピソードなので、ぜひ読んでみていただきたい。
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