モロッコ便り03~タンジェにて
- 2019年6月3日
- 読了時間: 7分
先日、モロッコを飛び出して、スペインのタリファ、セビリア、マラガを巡る旅をしてきた。行きたい場所とスケジュールとをすり合わせた結果、1日1都市というペースで回るめまぐるしい旅となってしまったのだけれど、どの町もそれぞれに魅力的で、もっと時間をかけてゆっくりしていきたいところだった。このスペインの旅のことは、いつかのお土産話にとっておこうと思う。
さて、今回お届けするのは、この旅の出発地点だったタンジェという町でのとある出会いの話。
タンジェとは、モロッコ北部に位置する港町。
イベリア半島最南端の町、タリファへ行くフェリーがここの港から出ていて、私はここでフェリーに乗ってスペインへ渡ることになる。
私の住むフェズから夜行バスに乗って、タンジェに着いたのは朝の8時。17時にタリファ行きのフェリーが出発するまでの間は、バックパックを背負ってひとり、町のあちこちを歩き回るつもりでいた。
バスを降りると、さあ、ひとり旅の始まり!と気持ちは高ぶるのに、眠気が残った体には、バックパックが思っていたよりも重く感じられる。
さらに、ラマダン期間中のため、朝ごはんを食べられるようなお店はなく、カフェやレストランはどこも閉まっている。そのことを考慮に入れて、バスの中でこっそりとお菓子を食べてはいたけれど、それでもすでにお腹が空き始めていた。
バスターミナルから町の中心部までは歩いておよそ1時間。タクシーを使ってしまおうかという考えが一瞬頭をよぎったけれど、初めて訪れる場所で、それにひとり旅ときたら、ひたすら歩き回るに限る。というわけで、芝生の上に座って時々休みながら、町の中心部に向かって歩いた。
私のような外国人が芝生の上に座って休んでいても、誰も気に留めないのが、フェズと違っていて新鮮だった。港町だからだろうか。おかげで思う存分ゆっくりすることができた。けれど、それと同時に、自分は今ひとりぼっちだという孤独感がなぜだか急に強まった。
しばらく歩くと私はほとんど、いつどこで何を食べるかということしか考えられなくなり、レストランばかりを目で追うようになってしまった。それでは町の景色が楽しめないので、スマホで調べて、12時に開店する(であろう)この店で昼ごはんを食べよう、と決めた。ラマダン期間中は営業時間もイレギュラーな場合が多いから、スマホが教えてくれた通りに12時に開店するかどうかは定かではないけれど、12時にここ、と決めてからは、そこに照準を合わせてまち歩きの道筋を考えられるようになった。ご飯のある未来がイメージできてほっと一安心である。
(私はイスラム教徒ではないから、断食はしていないし、そもそも断食をする必要はないのだけれど、それにしたって、私には断食は到底できないだろうと思う。でも、同じ人間なのだから、いま断食をしている人の中にも私のようにお腹が空いてご飯が食べたくて仕方のない人は当然いるはずなのだ。だから、ラマダン期間中はなるべく人前で飲んだり食べたりしないように気をつけている。外のレストランで食べるときは、道行く人たちの目につきにくい席に座ったり…。)
12時になる前には、展望台から海の方を眺めたり、タンジェ・アメリカ公使館協会という博物館に行ったりした(モロッコは1777年に世界で初めてアメリカ合衆国を国家として承認した国だそうで、この博物館にはモロッコとアメリカにまつわる様々な展示がなされていた)。

この調子で歩けば12時になる頃にちょうどレストランにたどり着けるだろうと思って歩いていると、目的地の手前でバブーシュ(モロッコの革製のスリッパ・靴)を売るお店のおじいさんに声をかけられた。私はとてもお腹が空いていて早くごはんにありつきたかったけれど、レストランまではあと少しというところまで来ていたので、「ちょっと見ていかないかい」という声につられてお店を覗いてみることにした。
私がダリジャ(アラビア語モロッコ方言)で話しかけたから親近感を持ってくれたのか、「座って座って」と椅子を勧めてくる。私が座るまで「座って」と言い続けるのではないだろうかと思わせる勢いだったので、勧められるままに着席してしまった。

おじいさんと少しお話ししたらすぐに出てレストランへ行くつもりでいた。おじいさんの質問に答えるようにして、私がダリジャを話せる理由や、今日この後の予定や、私の旅の計画を話したら、おじいさんは「ここでごはん食べる?」と言い出した。
警戒心が解けていない私がどうしようかと返事に迷っているうちに、おじいさんは「なんでもあるのさ」と魚とフライパンを出して、見せてくれた。お店の一角には、仮眠用だろうか、ベッドがあって、その周りには様々な日用品が備えられていた。
そして、「座って」の時と同じように、今度は「食べる?」を連呼されてしまい、圧に負けた私は、はいと答えた。

おじいさんは慣れた手つきで魚を焼きはじめ、待っている私にはゆで卵をひとつくれた。さらに、びわを袋ごとざっと渡してくれたので、ふたつ頂いた。そうこうしているうちに、魚は焼き上がり、肉も出してきて温めてくれて、初めて見る不思議な麺のような料理(あいにく写真はありません…)も作ってくれた。
見た目はお世辞にもきれいとは言えないけれど、そこらのレストランで頼む一人分の食事よりも豪華な食べ物たちがあっという間に目の前に並んだ。
そしてもちろん、お決まりのミントティーも、砂糖たっぷりで作ってくれた。

嬉しくなって夢中で食べていたら、私が食べているそばからおじいさんは「食べて食べて」と声をかけてくる。少し手を休めておしゃべりをし始めようものなら、「全然食べてない。もっと食べて。旅するんなら、もっと食べなきゃ」と言う。でも、そんなふうに声をかけるおじいさんは何も食べていないのだ。ベッドの上に腰かけて、私が食べるのをただ見ている。日が沈むまで何も食べられないのに、今日初めて会った外国人のために料理を作って食べさせてくれている。なんて寛容なんだ…。さらには、私の拙いダリジャでの会話にも耳を傾けて、優しい言葉をたくさんかけてくれた。
途中、他のお客さんが店に入ってきて、その人も一緒にごはんを食べ、ダリジャもフランス語も流暢に話すそのお客さんのおかげで会話が一段と弾んで、楽しい時間を過ごした。
お腹がいっぱいになるまで食べて(それでも食べきれずに残してしまうほどの量の食事だった)、「町を少し歩きたいからもう行く」と、お世話になったおじいさんに別れを告げた。すると彼は、店の売り物の、布でできたブレスレットをプレゼントしてくれた。
心からのありがとうを伝えて私が立ち上がると、おじいさんは「ここに荷物を置いていっていいよ。フェリーに乗る前に取りに来ればいい。」、それから、「町を案内するよ。」と言った。
そうして、おじいさんは私と一緒に店を出て、店のシャッターを下ろして、私のまち歩きを先導してくれた。
え、お店はいいの?という私の心配をよそに、おじいさんはずんずん歩いた。海がきれいに見渡せる場所に行ったり、おじいさんの友達のバブーシュ職人さん、ジェラバ職人さん、靴職人さんのお店を巡ったりした。どのお店でも私は歓迎され、何度も自己紹介をした。
おじいさんとその友達が何をしゃべっているのかはさっぱりわからなかったが、わからないなりにダリジャのリズムに耳を傾けた。


あっという間に時間は過ぎ、まもなくフェリーに乗る時間になった。おじいさんの店に戻って、バックパックと背負い、おじいさんとお別れをする。
食事をいただいていた時、私は、お世話になったからバブーシュを買っていきたいという気持ちと、これから旅が始まるから正直あまり荷物を増やしたくないなという気持ちの間で揺れながら、頭の片隅でバブーシュのことを考えていたのだった。おじいさんの口から「バブーシュ」と一言でも出てくれば、私は買っていたと思う。けれど、彼はバブーシュのことには一切触れなかった。買うとなれば、値段の交渉をしなければならない、でもお世話になったからどうしようか、といった煩わしいことになっていたと思うので、このおじいさんの態度がとてもありがたかった。
そして彼は、私の感謝のことばに対しても、こんなの大したことない、当たり前だ、と言わんばかりの爽やかさで、あっさりと別れた。
おじいさんは私にたくさんのことをしてくれたのに、私は何もすることなく別れてしまった。やっぱりバブーシュ買えばよかったかな。
おじいさんの言っていることは、実は半分くらいしか理解できなかった。本当はわかっていないのに、わかったように頷いたりもしながら、なんとか会話を続けた。けれど、たとえ拙くても、私がダリジャを話せたから、たまたま店の前を通りすがっただけの出会いがこれほど豊かな時間にまで膨らんだのだとしたら、それはとても嬉しいことだ。
言葉を勉強していてよかった、と思える心温まる出会いだった。
そして、私はこうやって、たくさんの人と出会いたいから言葉を勉強しているのだった、と大事なことを思い出させてくれた出会いでもあった。
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