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無力な言葉と「ボディ・トーク」

  • こもれびスタッフ
  • 2019年10月21日
  • 読了時間: 4分

 こんにちは、秋本です。10月ですね。


 外国語学習者である私たちにとって10月と言えば…そう、NHKの語学番組が始まる月です。毎年4月と10月は、語学番組が頭に戻って、第1課から始まります。

 かく言う私も、もう何年も4月と10月にはテキストを買い求め、「今回こそは最後までやり通すぞ!」と意気込むものです。ちなみに塾長の志村もこの10月からテレビで始まった『アラビーヤ・シャベリーヤ!』というアラビア語講座を毎週楽しみにしているとのことで、それぞれの始まり、といった趣があります。


 何の自慢にもならず、むしろお恥ずかしい話ではあるのですが、私は中国語に関して初学者のまま。4月、もしくは10月から聴き始めるのですが、3ヶ月も経たないうちに気づけば日々の忙しさを言い訳にして学習をやめてしまい、また次の機会に第1課から聴き始める…ということの繰り返しだからです。でもやっぱり懲りずにこの10月もテキストを買い求め、四声の練習から始めました。そう、中国語講座は必ず、初めはスキットではなく四声の練習から始まるのです。


 ところで、こもれびがある国分寺には、駅に隣接した商業施設内に大きな書店があるのですが、10月中旬になってのこのことテキストを買いに行ったところ、フランス語とドイツ語の10月号のテキストが売り切れていました。国分寺にフランス語・ドイツ語学習者人口が多いのか、はたまた書店側が需要を見越して最低限の数しか仕入れなかったのか、真相はどちらでしょうか。

 ともあれ、せっかくだからフランス語講座も聴こうと思っていたのですが、テキストが売り切れていたため、仕方なくラジオの音声だけで学び始めることに。

 流れてくるスキットを聴いていると…お!意味が分かるではないですか!しかも、1回スキットが流れた後、「今度はもう少しゆっくりしたスピードで聴いてみましょう」と言われて読まれた音声に対して「お、遅い…!」と感じるほど。こもれびでフランス語を学びつつ、英仏カフェなどで容赦ないフランス語のシャワーを浴びているうちに、わずかながらも能力が向上していたようです。


 「継続は力なり」という言葉はもはや使い古された慣用句ですが、一理あるのは間違いありません。たとえ簡単な文でも、聴き取れて意味が分かると嬉しいものですね(中国語は私にとってはそれさえも難しいのです…いかに私が中国語学習において視覚情報に頼りきっているかがよく分かります事例でもあります)。


※ ※ ※


 せっかくなのでもう一点。

 先ほども登場した志村ですが、先日彼がこんなツイートをしていました。


 「勉強なんてしなくていい」という人は決まって勉強ができるし「お金がすべてじゃない」という人はだいたいお金持ちなのと一緒で、「言葉は無力だ」と言うためにはやっぱりある程度、言葉が達者でないといけない。



 私事ですが最近引越しをしまして、このところ、しまい込んでいた色々なものが出てくる日々です。

 出てきたものの中に、文芸誌「ダ・ヴィンチ」2007年10月号がありました。同年に35枚目のアルバム『I LOVE YOU,答えてくれ』を発表した中島みゆきの特集が組まれていたもの。比較的新しいアルバムだなぁ、と思っていたら、もう12年も前のことなのですね。その頃の私は大学1年生でした。


 で、この『I LOVE YOU,答えてくれ』というアルバムの中には「ボディ・トーク」という曲が収められています。平たく言ってしまえば「言葉なんて無力だから、身体で愛を伝えるしかないじゃん」という歌。

 件の『ダ・ヴィンチ』に掲載されたインタビューでは、インタビュアーの「『ボディ・トーク』の歌詞に、”言葉なんて迫力がない”とありますよね。言葉にこだわっている中島みゆきの表現としては、非常にショッキングですが」という問いかけに、中島はこんなふうに答えています。


 「あの歌詞のあとには、(チキショー!)みたいな叫びがあるわけで。(諦めました)じゃなくて」(『ダ・ヴィンチ』2007年10月号、p.199)


 言葉の無力さを嘆いているけれど、実は言葉の力を知っていて、でもやっぱり無力に思えてしまう言葉に対して複雑な想いを抱いている…という点で、志村のツイートに通じるものがあるように思います。まさに彼女は、言葉が達者だからこそ、「言葉は無力だ」と言うのだと思います。そして私もまた、言葉の力を知りつつ、言葉の無力さも身に沁みて実感する者です。


 志村とは、「これびより」の第1回で出会ったその日に、しばらく言葉を交わすうちに「あ、この人は自分と同じようなことを考えているな」と直観し、あっという間に意気投合したわけですが、もし中島氏と出会う機会があったならば、同じように意気投合できたかもしれない…とほんの少しだけ思います。


 言葉そのものへの愛情と、言葉を愛する人たちに対する愛情は、尽きることがありません。


 言葉なんて迫力がない 言葉なんて なんて弱いんだろう

 言葉なんて迫力がない 言葉はなんて なんて弱いんだろう


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