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良いお年を!

  • 2018年12月28日
  • 読了時間: 3分

こんにちは!こもれび塾生の秋本です。クリスマスも過ぎ去り、あっという間に年末ですね。

皆さんはどんなクリスマスをお過ごしでしたか。私は12月22日の「こもれびより」で、美味しいクリスマスケーキやジンジャークッキー、そしてシュトレンをいただいてクリスマス気分を満喫したおかげか、すっかりそれで満足して、クリスマス当日は特にこれと言ったことは何もしませんでした…笑


さて、この時期になるとよく聞く、そしてよく口にするのが「良いお年を!」という挨拶。次に会うのが年明けだと思われる場合、別れ際にどちらからともなしにこの言葉を口にします。

なんだかこの言葉、とっても良いなぁと思うのです。まだ見ぬ新たな年に思いを馳せつつ相手のことをそれとなく気遣う、未来志向の挨拶だと感じます。


が、実は私はこの挨拶にちょっとしたこだわりがあって、「良いお年を」の後に省略されている「お迎えください」まで言わないと、理由は分からないのですが、なぜだかどうにも落ち着かないのです。分からないなりに想像してみると、「良いお年を」だけでは短すぎて、「『良いお年』をどうしてほしいのか」を相手にきちんと伝えられないような気がするからかもしれません。


そしてこのところ、年が明けてからも「あけましておめでとうございます」と誰彼構わず言うのがやや躊躇われるようになってきました。「誰もが新年をめでたいと思っているわけではないよなぁ」などと思うと、いくらお決まりの、型通りの挨拶とはいえ、軽々しく言ってはいけない気がしてしまいます。


考え過ぎなのは分かっていますし、そんなことで口をつぐんでいたら何も言えなくなってしまうのも承知しています。でも、日本語話者として「型」が身につき、無意識で使えてしまうからこそ、今一度その「型」が意味するところのものを考えることが必要なようにも思います。

「皆が使っているから」「それ以外の表現を知らないから」というだけで何気なく使っている言葉が、もしかしたら誰かを傷つけているかもしれない…そんなふうに想像力を働かせられる人間で居たいのです。


「一人ひとりがほんのちょっぴり想像力を働かせるだけで、きっと世界はもっと良くなる」なんてことを言っては、あまりに青臭いかもしれません。でも毎日を過ごしていると、どうしてもそう思いたくなる場面に出くわすこともしばしば。いえ、何も人様のことだけを言っているのではなくて、私だってきっと、気づかないうちに良くない振る舞いをしていることはあるはずで、それはひとえに私の想像力が及んでいないことによるものなのです。


そんなわけでこの年末は、日々自分が何気なく使っている言葉について、改めて考えを巡らせてみたいと思う次第です。

それでは皆さん、良いお年をお迎えください。また来年お会いできると嬉しいです。


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