花、咲かずとも
- 2019年3月22日
- 読了時間: 4分
こんにちは。秋本です。すっかり花粉が飛ぶ季節になりましたが、皆さん花粉症の方は大丈夫でしょうか。
こもれびでも皆が花粉症に苦しみ…かと思いきや、志村さんなどは涼しい顔をされており、重度の花粉症の私からすると羨ましい限りです。
気温が上がり花粉が本格的に飛ぶようになるこの季節は、桜の季節でもあります。先日、東京でも桜が咲いたとのニュースが聞こえてきました。お花見シーズンも、もう間もなくですね。
ところでこの桜、その華やかさからか、おめでたい場面に登場することがあります。代表的なのは、「桜咲く」。大学受験の合格発表の際、合格者には「サクラサク」、そうではない方には「サクラチル」と電報を打ったことに端を発する慣用表現でありますが、ひねくれ者の私はつい、「なるほど、桜ねぇ…」などと思ってしまいます。
これは、そもそも個人的に、華やかな桜よりも、やや落ち着きを感じる梅や桃の方が好み、ということも大きいでしょう。「花見と言えば桜」と相場が決まっていて、梅や桃はどうしても顧みられることが少ない印象です。けれども、大々的な注目を集めずに控えめに咲くそれらの方が美しく思える…というのはさすがに贔屓のし過ぎでしょうか。
そして、「桜咲く」に対して複雑な思いを抱いてしまう最大の原因は、「私自身、『桜咲く』を経験したことがほぼない」ということにあります。えぇ、いわば逆恨みのようなものです。
恥を忍んで申し上げるならば、中学受験、大学受験、そして就職試験と、生まれてこの方「第一志望」としてきたところに合格した試しがありません(ちなみに進学したのが中高一貫校だったため、高校受験の経験はないのです。しかも、巷ではよく、「第一志望に受からなかった悔しさをバネにして猛然と努力し、その後は目覚ましい成果を上げました」という成功譚を耳にしますが、そんな気概もなく、省エネで生きてきてしまった我が人生。
そんな人生を30余年過ごしてきたわけですが、そこから言えるのは「桜なんか咲かなくてもいい、いや、そもそも花すら咲かなくてもいい」ということです。
これは今だから結果論として語れるのですが、あの時第一志望の中学校に合格していたら進学する大学も変わり、就職する先も変わっていた可能性が高いです。今ごろは…「世界を股にかけるビジネスパーソン」になっていたかもしれません。今こうして、こもれびの皆さんと楽しい時間を過ごすこともなかったかもしれません。
…実は今、直前の「今ごろは~」という部分を書くために、「あったかもしれない自分の煌びやかな人生」を思い描いてみたのですが、途中がどんなに煌びやかなものであっても、自分の生まれ持った性質や性格からして、最終的には収まるべき場所に収まるような気がしてきました。もしかしたら、こもれびにもまったく別の形で出会うことになった可能性もあります。
「結局、なるようになるし、なるようにしかならない」。そんなことを言ってしまっては元も子もないかもしれませんが、これが今の素直な気持ちです。
これをお読みの方の中には、かつての私のように、試験などで思うような結果が出せず、涙を流したばかりの方もいらっしゃるかもしれません。たしかに、たかが試験と言えども、あたかもその後の人生を大きく左右してしまいかねないと思えるそれは、重大問題に見えてしまうものです。
ですが、どうかあまり悲観なさらず、少しずつでも歩みを進めていただければと思います。一歩ずつでも進んでいれば、「あぁ、ここにたどり着くために歩いてきたんだ」と思える場所に行き着ける可能性が出てきます。
最後にもう一度私自身のことをお話ししておくと、大学を卒業するとなった時、当時の経済情勢や自身の問題などもあり、どこにも就職が決まりませんでした。花なんて、ひとつも咲かなかったのです(「就職をする」しか選択肢が思い浮かばなかったのも、今となっては色々と思うところがないこともないのですが…)。そんな状況でしたので、「あぁ、今後どうやって生きていこうかなぁ」と思っていたわけですが、紆余曲折の末、結果的に今、こうしてこもれびに通って満ち足りた日々を送っています。植物推しで行くならば、花は咲かずとも、木の下でキラキラとしたこもれびを浴びているわけです。
めげずに生きていれば、いつか必ず自分がしっくりくる場所に出会えるはず。たかが私一人の事例ですが、そんな人間もいるんだなぁ、くらいに思っていただけると、大変嬉しく思います。
今日はなんだか、お読みいただいている方へのエールのようになってしまいました。
そういえば、昨年の就職活動解禁日(もはやスケジュールがよく分からないのですが、昨年は6月1日がその日であると私は認識したようです)に、以下のような記事を書きました。
https://note.mu/task_akimoto/n/n633f152dcfdc
今でも、この考えは変わっていません。今回のブログのようにとりとめがないものですが、就職活動を始められたばかりの方に読んでいただけますと幸いです。
以上、結局のところ「どうやって生きていこう」については引き続き考えている秋本でした。「悩むな、考えろ」ということだと思っています。
秋本 佑
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