2019年6月 書肆こもれび 今月の1冊 『90年代の若者たち』
- こもれびスタッフ
- 2019年6月13日
- 読了時間: 6分
更新日:2019年7月9日
書誌情報
タイトル:『90年代の若者たち』
著者:島田潤一郎
出版年月:2019年4月
出版社:岬書店

架空の書店「書肆こもれび」の店主、根本による本の紹介。第3回の今回は、「ひとり出版社」夏葉社の島田潤一郎さんが、ご自身で新たなレーベル「岬書店」を立ち上げ、その第1弾として出版した『90年代の若者たち』を取り上げる。
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記憶というのは不思議なものだ。ふとした瞬間に嗅いだある匂いや、あるいはふとした瞬間に耳にしたある音楽などによって、特定の記憶が呼び起こされることがある。「トリガー」という言葉がこんなにしっくり来ることもそうそうない気がする。
特に「音楽」について考えみると、多くの人には「青春の音楽」とでも呼ぶべき、青年期に夢中になって聴いた音楽がある。そしてまた、多くの人がそうした音楽に特別な思い入れがあり、何歳になってもそれらの曲を聴くと当時のことをありありと思い出したりする。
なぜこんなことを書いているのかというと、今回ご紹介する『90年代の若者たち』は、まさに音楽とともにあった島田さんの1990年代が、飾らない筆致で、しかし熱を込めて書かれているからだ。フィッシュマンズ、小沢健二などの固有名詞とともに、固有名詞的な、はっきりとした輪郭を伴った「90年代の若者たち」の実像が語られる。
※ ※ ※
何をどう書いても結局個人的な話になってしまうことが判明したのでいっそのこと開き直ってしまうことにした。そんなわけで、僕自身にとっての90年代を少しばかり振り返ってみたい。
1988年生まれの僕は、90年代を小学生として過ごした。音楽に関して特に早熟でもなかったので、意識的に「音楽を聴き始める」ようになるのはもう少し後のことだ。そそのため、90年代の音楽にはリアルタイムで確たる思い出があるわけではなく、せいぜい覚えているのは街で流れる流行りの歌。SPEED、宇多田ヒカル、安室奈美恵…そんな人達が大活躍していた。
00年代になってからもしばらくは、基本的には流行りの音楽しか耳にしない日々。
それが、高校生になる直前に、ようやく音楽に目覚める。
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当時、NHKで「プロジェクトX」という番組が放送されていたことを記憶されている方も多いだろう。日本の高度経済成長を支えた名もなき人々を取り上げるドキュメンタリー・シリーズで、毎回感動的なエンディングが用意されていた(余談だが、今になって振り返ると、あれから20年近くが経過した現在は、あのような番組を放映しても視聴者に受け入れられない時代になった気がする)。
その番組のオープニング曲である「地上の星」と、エンディング曲である「ヘッドライト・テールライト」を作詞作曲し、歌っていたのが中島みゆきという人。当時の僕にとっては、「『地上の星』を歌っているベテラン歌手」くらいのイメージだった。
そんな彼女が2002年の紅白歌合戦に27年のキャリアで初めて出場し、盛大に歌詞を間違えた。観るともなしにテレビを眺めていた僕は、「この人は一体何者なんだ…?」と興味をひかれる。そして、それからしばらく経って、「地上の星」が収録されたベストアルバム「Singles2000」を借りてみた。
またテレビの話になるが、ちょうどその時フジテレビで、山崎豊子原作の『白い巨塔』がドラマ化され、放送されていた。つい最近もまたドラマ化されていたようだが、その一つ前のバージョンである。
ご存知の通り医療をテーマにした作品であることから、作中では「命」について描かれるわけだが、同時期に聴いていた「Singes2000」に収録された「命の別名」という曲が、このドラマの世界観に驚くほど合致していたのだ。
くり返すあやまちを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を”心”と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
―「命の別名」より
この曲に心を揺さぶられた僕は、アルバムに収録された他の曲も熱心に聴き込んだ。このアルバムは「Singles2000」という名前が表すように、1994年から2000年に発売されたシングル曲とそのカップリング曲を収録したもので、僕はここで初めて、「90年代の音楽」と意識的に対峙したのだ。そしてその後は、彼女のデビューした1975年にまで遡って作品を聴くことになる(こうした体験から、自分が良くも悪くも常に時代と「ズレている」という感覚を抱くようになったのだが、それはまた別のお話)。
※ ※ ※
つい長くなってしまった。
話をまとめると、僕にとって90年代は、「後から追体験するもの」であった。一応その次代に生まれてはいたものの、何か実感や思い出を伴って過ごしたわけではない。
恥ずかしながら、島田さんの『90年代の若者たち』に出てくる固有名詞は、この本で初めて出会うものばかりだった。小沢健二は名前と、そして作品も1曲だけ知っていたが、フィッシュマンズやサニーデイ・サービスは本当に初耳だった。僕が熱心に聴いた(そして今でも聴いている)中島みゆきからはリンクせず、これまでたどり着けなかったのだ。
そして、たどり着いてみたところで、当初は「本に書かれた文字」に留まり、彼らの音楽を聴いてみるには至らなかった。
※ ※ ※
ところが、である。
『90年代の若者たち』を読んだ直後、突然身の回りで「フィッシュマンズ」という名前を立て続けに見聞きすることになったのだ。これまで、聞いたことすらなかったのに。
まず、初台にある”本の読める店”「fuzkue」さんのブログ( http://fuzkue.com/entries/21 )。これは、ちょうどその時投稿された、というわけではなくて、過去のブログのアーカイブとしてTwitterに流れてきたものだ。これまで、聞いたことすらなかったのに。
次に、高校時代からの音楽好きの友人の口から同じ名前を聞いた。これまで、聞いたことすらなかったのに!
さらには、こもれびの塾長である志村響氏の口からも、同じ名前を聞いた。これまで、聞いたことすらなかったのに!!
なんとも不思議である。さながら、ふたたび90年代に出会ったようだ。
※ ※ ※
『90年代の若者たち』は、それぞれの曲を軸にした島田さんの当時の日々のことが綴られている、ということは先ほども書いた。僕がこの本を買った早春書店( https://www.so-shun-shoten.com/ )の店主、コメカさんがおっしゃっていたことだが、当時を美化することなく、鬱屈した心情などもそのまま形にする島田さんの文章は、グイグイと引き込まれる。
島田さんは、「あとがき」で次のように書く。
ぼくがこの身で体験した90年代の世界はあまりに狭く、ここに書いてあることは正確な事実というより、東京の世田谷や狛江でぼくが感じた「印象」以外のなにものでありません。
一方で僕は、「印象」だからこそ持つ説得力がたしかにあると思う。
綺麗にろ過された思い出はそれはそれで良いが、そんなことはお構いなしに思いを思いのままに書き表したものは、(月並みな表現になるが)血肉が通ったものとなる。
そんなわけで、今回はいつも以上に思うがままを書いてみた。残念ながら、そして当然ながら島田さんの域にはまったく及ばないのだが。
皆さんの90年代は、どんなものだっただろうか。
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