2019年8月 ことばの本屋Commorébi 今月の1冊 『はじめての言語学』
- こもれびスタッフ
- 2019年8月8日
- 読了時間: 4分
書誌情報
タイトル:『はじめての言語学』
著者:黒田龍之助
出版年月:2004年1月
出版社:講談社

これまで、「書肆こもれび」として毎月1冊ずつ本を紹介してきたが、これからは「ことばの本屋Commorébi」として引き続き紹介していく。
「ことばの本屋」としての記念すべき1冊目は、言語学者・黒田龍之助先生の『はじめての言語学』。
※ ※ ※
この本に出会ったのは、僕が高校生の時なので、2005年か2006年くらいのことだと思う。思い返してみれば、出版されてからそう時が経っていなかったことになる。国語の先生に紹介されたのだったか、書店でたまたま見かけたのだったか。手元に来た経緯は覚えていないが、とても興味深く読んだことはよく覚えている。
その時点でなんとなく「外国語の面白さ」を知っていた僕だったが、外国語を学ぶこととはまた違う方法で「ことば」にアプローチする方法=言語学がある、というのを知ったことは、まさに目から鱗だった。読んだ当時の記憶はだいぶ薄れてしまったが、「ことば」をこんなふうに細かく細かく分けて扱うことができるんだ、という新鮮な驚きがあったと思う。
そして何よりも、著者である黒田先生の「ことば」に対する愛情や真剣な眼差しが伝わってきたことがこの本の印象をより深いものにした。
どこか印象的な部分を引用しようと思うのだが、うっかりすると本の大部分を引いてしまいかねない。気持ちを落ち着けて「芸術の言語はあるのか?」という一節から引用したい。
言語学ではすべての言語が平等である。
たとえばそのしくみについても優劣はない。自然の中でプリミティヴな生活をする人たちの言語が、単純なものだと思ったら大間違いである。英語などよりも、サルのコミュニケーションに近いなんてことは絶対にない。人間の言語だったら、どれもすべて複雑なものなのだ。
それでもなお、違いがあるとすれば、たとえばあなたがある言語は好きだけど、ある言語は嫌いだというのだったら、それは趣味の問題である。食べ物の好き嫌いと同じであって、それに妙な理由をつけて正当化することはできない。X語はとても文化的だと思う。昔からX語は芸術の言語だといわれている。音楽や美術をやるのだったら断然X語である。それはどうぞお好きなように。しかし繰り返すがそれはあなたの趣味である。あなたはたまたま、X語文化圏の音楽や美術が好きなのだ。でも、音楽や美術のない文化圏は考えられない。また、同じX語文化圏が、たとえば多大な軍事力をもとに世界に広まったりする経緯があったことも忘れないでほしい。(p.225)
「X語」に思い当たる節がある方も多いのではなかろうか。かく言う僕も、つい僕の「X語」を称揚したくなってしまう瞬間があり、その度にこの黒田先生の言葉を思い出す。
「ことばの本屋」を名乗る以上は、店作りの根本にはこの思想への共鳴がある。「謂れのない正当化は許容できない」。裏を返せば、「謂れのない単純化も許容できない」。英語は楽して「ペラペラ」にはならないし、「カタカナ発音で通じる!」にも与したくない。何語も等しく、難しい(と感じる)部分もあれば、簡単(と感じる)部分もある。
そう考えると、この本はある意味、「ことばの本屋」にとってのバイブルなのかもしれない。
※ ※ ※
話は脱線するが、「ことばの本屋」が間借りする「語学塾こもれび」は、言語学の考え方を活用した指導方法を実践している。昨年6月末に僕がこもれびに出会った際、この「言語学」をひとつの特徴としていることは僕の心を強く捉えた。「あ、あの黒田先生の言語学だ!」となったわけである。
そんなこもれびの面々とは、言語学的な考え方に共感する者同士だったからか、あっという間に意気投合。現在に至る。言語学が、さらには「ことば」が繋いでくれた縁だ。
これまでTwitterなどで何度も書いてきたが、「ことばの本屋」は様々な「ことば」に関する本が集まっている。外国語学習に関する本も多いが、言語学に関する本もある。普段あまり言語学に馴染んでいない人でも手に取りやすいようなものを選んでいる。
「ことば」について考えを深めることは「世界」について考えを深めることに繋がる。「ことばの本屋」そして「語学塾」はそうしたことの入り口になれれば、との思いがある。
ことばの世界へ、ようこそ。
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