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ふせんを剥がす

  • 執筆者の写真: こもれびスタッフ
    こもれびスタッフ
  • 2020年10月11日
  • 読了時間: 3分

少し前のある日、本を読んでいて、ふせんを貼りたいと思う箇所に出くわした。

だけれど、ふせんが見当たらない。思い当たる場所をひとしきり探すも、一向に出てこないので、他の本に貼っていたふせんを拝借することにした。

ふせんを貼った本、ですぐに思い当たるものがあったので、引っ張り出してくる。



どんだけふせん貼ったんだ、

というこの本は、わたしが大学受験生だったころに使っていた日本史の一問一答だ。

あとどれくらい覚えなければならないことがあるのかを可視化しようと、当時のわたしは、答えがわからなかった問題すべてにふせんを貼っていた。今思えば、必死だった。

これを見た友人にぽつりと「気持ち悪い」と言われたことがある。それは今でも覚えているほどに当時ハッとした一言だった。

しかしそれでも、目の前の受験に立ち向かうために、わたしはふせんを剥がしたり貼り直したりを繰り返していた。

なつかしいなあ、一問一答はもう使わないし、再利用できそうならしばらくふせんは買わなくてよさそうだなあ、などと考えながら適当に真ん中あたりを開く。

すると、元禄文化のページだった。

[ ★ ]は、鉈彫の仏像彫刻を多数残した。

頻出度が低いことを表す星一つのマークがついている。

これを見ると、あんまり出題されないから覚えてなくてもしょうがないよ、と一個の星に言われているような気になったもので、そこにはやはり、諦めの青いふせんが貼ってあった。

ふせんをぺろりと剝がす。

問題の答えは「円空」だった。

円空といえば、先日、国立新美術館でやっていた「古典×現代2020」という展示で作品を観たばかりだ。

美術に疎いわたしは、この作家のお名前は初めて聞いた!この方の作品を初めて目の前で見た!と言う具合に、わくわくしながら展示を観た。

円空の作品は、現代木彫りの作家である棚田康司さんの作品とセットでひとつの部屋に展示されていた。円空の作品に着想を得て作られた棚田さんの作品がすぐ横にあると、円空の作品も江戸時代のものとは思えないくらい生き生きとして見えた。天に向かってのびる細長い木の彫刻がいくつも並んだ、開放感のある空間も好きだった。

円空も棚田康司さんも初めて聞く名前だったけれど、作品の雰囲気が気に入って、観に行ってよかったなあと満足して帰宅した。

それなのに、なんと、わたしはすでに一問一答で「円空」に出会っていたらしい。

でもそれは、「鉈彫の仏像彫刻を多数残した」人物の、入試にはあまり出題されない人名として、出会ったに過ぎなかった。

高校生だったわたしは「円空」の二文字を何回か目にしていたはずだ。そしてきっと、資料集には小さく印刷された作品が載っていたはずで、わたしはそれも見ていただろう。そのときは、ふうん、と軽く流していたに違いない。

当時のわたしにとっては青いふせんのついた一単語でしかなくて、今のわたしは忘れてしまってさえいたわけだけれど、展示を訪れてはじめて、生きて作品を作ったひととして円空を知ることができた。

それは「覚えた」とは明らかに違う仕方で出会う感覚で、「ふせんを剥がす」ということは本来、こういうプロセスを経てやっと行われることなのだと思う。

そう思って日本史の一問一答に目を戻すと、くらくらする。

一答を導きだす一問以外に存在する無数の問いや、問いにならない事柄までもが、あの大量のふせん一つひとつの背後にあると想像すると、途方に暮れてしまう。

高校時代の友人がどういう意味を込めて「気持ち悪い」と言ったのかは今となってはわからないが、この果てしなさに怯えて「気持ち悪い」と感じた可能性もあるし、その感覚はたしかにわかるな、とわたしは思った。

けれど同時に、世界はこうでなくちゃ、とも思う。

親戚の住むあの町も、友達が描いた絵も、はたまた、ふせんを持ったまま呆然としているこのわたしも、問いになりうるようなたくさんの側面を抱えた一答なのだ。

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