言葉を食べるなら
- 2020年4月12日
- 読了時間: 4分
夜寝ている間にあまり夢を見ないのか、見ていても起きる頃には忘れてしまっているのか不明ですが、私には“最近見た夢の話”のストックが全然ありません。
他人が見た夢の話ほどつまらないものはない、なんて言われることもあるようですが、不思議な夢の中の世界が私は結構好きで、人の夢の話も面白く聞きます。だから、自分も何か話したいと思うのですが、いつも話せることがありません。
先日、こもれびで夢の話になった時も、私は「あんまり夢見ないんですよね~」と言って聞き役に徹していました。
ですが、さっき急に、最近見た面白い夢のことを思い出しました。なので、人から見たらつまらないのかもしれないと承知の上で書きます。2月のとある日に見た夢です。
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私はひとりで食卓にいて、目の前の皿に乗っている食べ物を口に運んでいる。皿に乗っているのだから食べ物だろうと思ったそれは実は食べ物ではなく、よく見たら全部「言葉」だった。大きな肉の塊や、付け合わせの色々な種類の野菜にも見える「言葉」を私はナイフとフォークで食べていた。大きくてかたい塊をそのまま口に入れたら、よく噛んでも飲み込めないし、喉につっかかってしまったのか、吐き出すこともできない。苦しい。え、もしかして私はこのまま死ぬのか?いやだ、どうしよう、うわあああ
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というところで目が覚めました。こんな気分で目覚めたくなかった…。ただ、私には心当たりがあって、すごくわかりやすい夢だったので少し感動しました。
どうしてこのタイミングでこんな夢を見たのか、何の暗示なのか、さっぱりわからない不思議な夢というのもありますが、この時の夢は、自分の頭にあったことがわかりやすく反映されていたんです。
夢を見たその日は、3人の仲間との読書会が開かれる日。この日までに各自で本を読んで、担当箇所をレジュメにまとめて、大学のゼミのような感じで課題本をゴリゴリ読もう、と企画された会だったのですが、取り上げる本が私にとってはものすごく難解なのでした。まさに、大きな塊を頑張って噛んでいる最中けれど、なるべく急いで食べ終えてしまいたいとはやる気持ちで読み進めていました。読書会当日までできる範囲でいいから頑張ろうと思っていたのですが、前日になっても第1章を読み終えたところで足踏みをしていて、これはきついな、明日どうしよう、と思いながら眠りにつきました。
あんな夢を見たのは、本のことで頭がいっぱいだったからに違いありません。小さく切ってからよく噛んで食べるべきでした。それか、飲み込むのに時間のかかるものを日頃から食べて顎を鍛えておくかしないといけないと反省しました。楽して柔らかいものばかり食べていると、痛い目に遭います。
ちなみに、この時に読んでいた本というのは、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』でした。
当初、一日で一冊まるごとに取り組もうとしていた読書会でしたが、前日に「これは無理そうだよね。かなり難しいよね…?」という話になり、1章だけを取り上げることにしました。それでも結局、当日は1章の1節にじっくり向き合ったところで時間もエネルギーも尽きてしまったのでした…。
あの変な夢を見てから、言葉と食べ物の似ているところを考えるようになりました。
口にする食べ物によって自分が形作られているように、吸収してきた言葉がその人の人となりとなって現れること。
どうしても好き嫌いはあるし、年を重ねてからやっと良さがわかるような大人の味も存在すること。でも、栄養バランスには気をつけたい。
誰かが食べることになるものを作ったり、おいしく料理したりする人には頭が上がらないこと。(売り物になるならないに関わらず、日々言葉を使っている私たちもみんな生産者と言えるかもしれない。自分の作ったものが誰かの体に入ることになることを忘れてはいけない。)
生産者の顔が見えるほうがいくぶんか安心できること。
食べられる量には限界があること。腹八分目が体にいいらしい。
速く食べると消化に悪いので、よく噛むのがいいこと。
見かけばかりがいい毒入りのものに騙されないように気をつけること。
などなど。
毎日たくさんの言葉を読んだり聞いたり、それも、発せられたところから離れたところで言葉を受け取らなければならないことが増えてきました。心がざわざわすることもありますが、言葉を食べ物のように捉えて扱ってみたら、自分の心を労わってあげられるのかもしれない、なんて思います。
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