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風を通すこと

  • 2020年3月14日
  • 読了時間: 3分

「人の集まる風通しの悪い場所を避けて…」


「風通しのいい会社です。」


このところ、「風通し」という言葉に触れる機会が多い。そしてこの言葉に触れる時はいつでも、風通しのいいほうが良いという使い方がされているなぁとふと思う。

風通しが悪いほうが良いという何かに私はまだ出会ったことがないけれど、そういうものってあるのだろうか。ごうごう吹き荒れる風は置いておくとして、爽やかなそよ風ならどこでも歓迎されるような気がする。



吹奏楽をやっていて、指揮者の先生にこんなことを言われたことがある。

「肺の中の息を全部吐ききってから息を吸うこと。」

吐き出せる息がまだ残っているのに吸ってしまうと、肺を満たすことができず、息を最大限に使うことができなくなるのだそう。この域までくると空気の総入れ替えになってしまうけれど、普段の呼吸でも新しい空気を入れて肺の中を通すためには十分な余白が必要だということになる。風もスペースが空いているところを通るものだから、息は小さな風みたいだ。

もしかすると、私たちには呼吸が必要不可欠で「無風状態」では死んでしまうとわかっているから、誰もが風というものを必要としていて、あったほうがいいものと捉えているのかもしれない。



風、と聞くと、もう一つ思い出すことがある。モロッコでお世話になったアラビア語の先生だ。優しいおじいさん先生で、私のことをよく褒めてくれる人だった。


ある日、授業外の時間に質問をしに行くと、先生は私が現れたことをとても喜んで、「あなたは良い魂を持っているから、会えると嬉しいんだ」というようなことを言ってくれたことがあった。

ここではサラっと書いてしまったが、その時の私は肝心の「魂」を意味するروح /ruːħ/を知らなかった(これはカタカナで書くとしたら“ルーフ”になるだろうか)。

知っているはずの単語なのに忘れてしまっただけかもしれない、と必死で記憶をたぐり寄せる。


「ルーフ…ルーフ…、これってもしかして“リーフ”と同じ語根ですか?」


アラビア語には語根という仕組みがある。3つの文字が1つのグループになった土台のようなものに、接頭辞がくっついたり、色々な母音が加わったりと、土台から派生することで、それぞれの単語ができている。そして、それぞれの単語の土台になっている3つの文字のことを語根といって、一つの語根は一つの概念を表すようになっている。

この説明では伝わりにくいかもしれないが、この仕組みのおかげでアラビア語では、知らない単語に遭遇しても音を聞いて語根がわかれば、そこから単語の意味を推理できることがあるのだ。

“ルーフ”から私がたぐり寄せた“リーフ”というのは、「風」を意味するريح /riːħ/だった。


先生は私の問いかけに頷いて、両手を顔の前へと動かした。そして、その手をすーっとまっすぐ、体の中心をなぞるように下ろした。体の中に風を吹かせるように。

そのジェスチャーを見た私は、体の中を通っている風が魂、と直感的に理解した。


あの時の先生の手の動かし方は、見ているだけで背筋が伸びるように感じたけれど、今思い出して自分でも実際にやってみると、ますます背筋が伸びる。


このごろは外に出る用事が減って、家で背中を丸めて本を読んだりパソコンを見たりしている時間が長くなってしまった。体も頭も心も、少しずつ凝り固まっている気がしてならない。息はしているけれど、どこか「無風状態」になっているように感じるのは、魂の問題なのだろうか。


私は背筋をしゃんと伸ばして、肺の中の空気を吐いてから深い深い呼吸をした。



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