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「LISTEN」

  • 2019年1月18日
  • 読了時間: 3分

こんにちは。塚本です。


先日、『LISTEN リッスン』という映画を観ました。

耳の聞こえない聾者(ろう者)の「音楽」を表現したアート・ドキュメンタリーで、58分間の無音の映画です。

この映画を観てなんとも不思議な感覚を味わったので、皆さんに少し紹介してみたいと思います。

とはいえ、感じ方は人それぞれだと思うので、気になる方はぜひご自分で体験してみてください、と言いたいところなのですが、2016年に公開されたこの映画、残念ながら現在はなかなか目にするチャンスも少なくなっています。

だからこそ、感じたことをことばにして伝えることはなかなか難しいですが、書いてみようと思ったわけです。ああ、前置きが長くなってしまいました。


まず、上映が始まる前に映画館では耳栓が配られました。無音の映画を存分に味わうため、また、聾者の感覚を疑似体験するための試みなのだろうと思います。

この日、観に来ていた人は両手の指で数えられるほどの数だったので、周りの音が気になるということはさほどなかったのですが、せっかくなので耳栓をつけて観ることにしました。


予告編が終わり、本編が始まるタイミングで耳栓をつけると、あたりは急に静かになります。でも、完全に無音になるのかというと、そうではありませんでした。

静けさに耳が慣れると、意外と近くから色々な音が聞こえてきます。

自分の心臓の鼓動、息を吸ったり吐いたりする音、時々つばを飲み込む音、そして、まばたきの音までがしっかりと聞こえるのです。

自分の命の音と、目の前のスクリーンの映像とが相まって、「生きている」という感覚が研ぎ澄まされていくように感じました。


スクリーンには、手話やダンスのように身体を動かしてそれぞれの表現をする聾者たちが映し出されます。手話なのか、ダンスなのか、その境目がよくわからない動きを観ていたら、自分の頭の中でだけ彼らの動きに合わせて音楽が聞こえてくるようでした。

実際に体を動かしている彼らは本当に無音の状態から表現をしているはずなのに、その動きを観ている私が勝手に頭の中でメロディを鳴らしているという不思議。


でも、しばらく経つと、頭の中の空想のメロディが聞こえなくなりました。

耳栓に慣れて、今度は視覚の方が鋭くなったのかなと思います。

聾者たちの無音の動きそのものが、音は持たないけれども「音楽」のように迫ってきました。


私の所属している吹奏楽部の指揮者の先生が以前こんなことを言っていたのを思い出しました。

「音楽は気持ちの交換なんだ」

耳に聞こえる音が無かったとしても、気持ち、心、魂のうごめきを身体で表現することはできて、それを他の人と分かち合って共鳴し合うことは可能なのだということを目の当たりにした映画体験でした。


ひとたび耳栓を外して映画館をあとにすると、街はいつも通り音に溢れていました。

徐々に音楽に囲まれた日常に戻っていきましたが、この映画を観た後の私は、人が発することのできる「音楽」の豊かさ、広さ、深さの秘密を知っています。

たくさんの音に囲まれて聴覚をフル稼働させる日々の中でも、聴者である私がこの映画を観て自分なりに感じたことは大切にしまっておきたいなと思ったのでした。



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