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日が沈む場所で生きていた

  • 2020年1月24日
  • 読了時間: 3分


モロッコから帰国してあっという間に1カ月が経っていた。

もともと12月に帰ろうと決めていたわけではなく、11月ごろ、無性に帰りたくなった時に勢いで取った航空券で帰ってきた。だから、モロッコを発つ当日は「1か月前は帰りたかったけど、今は帰りたくないな」と思いながら飛行機に乗っていたし、今でも、私はまだモロッコにいた可能性もあるんだ、などと思いを馳せてしまう。


東京に帰ってきてからまず驚いたのは、街や電車のなかが静かなこと、それでも時折耳に入ってくる誰かの話し声がすべて聞き取れて理解できること、それから、モロッコで感じていた日本との距離感よりも、日本から見たモロッコの方がずっと遠くに感じられること。


あわあわしているうちに東京の時間の流れに足を持って行かれ、ダムが決壊したみたいに日本語が入ってきて、モロッコでの8カ月のことが私の中で急速に遠のいて薄れていっている。アラビア語も少しずつ忘れていっているし、私がモロッコにいたということは事実なのに無かったことになってしまいそうだ。


現地でゼロから友達を作り、話すために勉強していたモロッコの方言も、自分のものにはならなくて、一時的なものと決まっていた滞在期間のための借り物の言葉でしかなかったような気がする。


でも、だからこそ、モロッコ人に言われた、「あなたはモロッコ人みたいなものだから」とか「君はもう半分モロッコ人だね」という言葉が忘れられない。

モロッコにいた時も、日本に帰って来てからも、私がモロッコの方言で話すと、そう言ってくれるモロッコ人がいた。

私はモロッコ人のようになりたくて言葉を学んでいたわけではないし(なりたいからといってなれるものでもない)、8カ月いてもまだまだ知らないことばかりだから、自分で自分のことをモロッコ人みたいだとは少しも思っていない。けれど、冗談やお世辞だったとしても、モロッコ人みたいだと言ってもらえるだけの何かが私にあるのだとしたら、それは、その土地の言葉、相手の言葉を話す、というその一点だと思う。


アラビア語を話す自分は、日本語を話す自分とは違うもう1人の自分のよう、と言えるほどにアラビア語で自分をアイデンティファイできるわけではないけれど、アラビア語を通して、誰かのアイデンティティに寄り添う、尊重するということは体に染みついた。


元の生活に戻っていくと、すべてが元通りになっていくような気がして、ちょうど1年前と今とで私は何か変わったのだろうかと考えてしまう。

きっと意識していないだけで、変わったところはたくさんあるのかもしれない。

でも、こんなふうな考え事をすると思い出すのはいつも決まって、「あなた、モロッコ人みたい」と言ってくれたモロッコの人たちの顔なのだ。




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